パパの日常。

パパの日常。記憶じゃなく記録。

突然の出来事。

台風がきて

結構荒れるだろうと思ったけど

全然あれなかった。

この台風ならバレーの大会出来た、、。笑

 

 

 

どうも。

こんばんわ。だるまです。

 

 

 

こんなこと

書いていいのか悪いのか分からないけど

書きます。

めっちゃ心に刺さった言葉とかもあって

ここに残そうと思いました。

 

 

 

だるまは

小学校2年からサッカーをしていました。

5年生までは大会成績とかも

ボロボロってくらい良くないチームでした。

(だるまがキーパーで役立たずでした。笑)

みんなの足を引っ張っていた存在。笑

5年生に上がったくらいかなぁ。

1人の同級生がチームに入ってきて

15人くらいになったんかなぁ。

その入ってきた子はほんっとうまかった。

個人技もすごくて。

副キャプテンになってた。

その頃のだるまは

多分その子とそんなに親しい訳でもなく

どっちかというとチームの円の外で見てる感じだったかなぁ。(可哀想な奴かて。笑)

だるま以外は上手い子ばっかりだったし

キーパーもチームに1人だって

練習もコーチとばっかりだったから

余計かもしれない。

キーパーのポジション敵にも

外で見てから動くから

輪に入ることが苦手でもあった。

上手い子とかは

輪に入るのも上手いんかなぁて思ってみたり。笑

で、チームで3人(キャプテン・副キャプテン)は

ひとつ上の学年の大会とかにも参加してて

その中に入ってきた子もいってた。

3人はうまかった。

で、6年生に上がっても

キャプテン・副キャプテンは同じ。

なんだけど、何故か6年生になってからは

ほぼ大会でいい成績を残せてた。

負けた試合はだるまのミスが多いかなぁ。笑

特別ずば抜けてうまかったのは2人。

けど、2人が上手くても勝てないのが団体戦

なぜいい成績が残せたのか。

あ、過去の栄光になるんですが

だるまのチーム。

関西大会までいきました。(関西大会ボロボロ。笑)

いい成績残せたのは

ほんまチームワークが良かったからだと思う。

小学校とかって

1人うまくてもミスはあるもの。

それを誰がカバーしてあげれるか。

チームメイトしかいてない。

その当たり前のことをみんなしてくれた。

だから、だるまもチームにおれた。

 

中学になると半分は同じ中学でサッカー部にはいって

残りは別の学校でサッカー部。

で、途中から入ってきた副キャプテンの子は

クラブチームだったけな?

入ってたと思う。

価値観とかがさらに違ってきたから

だるまはその子とさらに距離が出来てしまってた気がする。

中学、高校、社会人(学生)になるにつれて

会う回数も徐々に減っていって

ちゃんと喋ったのは成人式の時くらいかなぁ。

小学校のチームの集まりとかもあったけど

話しかけずらかったしなぁ。笑

 

 

 

って思ってたある日。

用事があってお母に電話をかけて話してた時のこと。

「副キャプテン(仮名)のお母ちゃん亡くなった。」

一瞬別の人の名前言うてるんか?

と考えた。

2回くらい聞き直した。

まさか。そんなわけ。

て思った。

ほんまだった。言葉が出なかった。

原因も分かってて

誰もがなるかもしれない。

倒れて病院に運ばれて

なんとか耐えれたらしい。

20日くらいだったかな。

その間に家族みんな揃って

いろんな話をしたらしい。

だるまの親とあんまり年も変わらない。

同じチームメイトだった子の親もほぼ

お通夜に参列。

だるまも合わせて5人参列した。

 

その子のお父ちゃんはしょっちゅう

だるまの勤務先に来てくれて話してた。

4月位からお父ちゃんの部署が変わって

あまりくることもなくなかった。

来たら喋ってくれたりしてた。

お母ちゃんはほんっと全然会ってなかったなぁ。

住んでるところはすぐ近くだし

19くらいまではたまーに買い物いくと

居てたり。

1年くらい出会ってなかったなぁ。

 

こんなこと書くのはおかしいとか

亡くなってから

あの人はいい人やったとかいう人は

沢山いてる。

でも、だるまだけかもしれないけど

同じチームメイトの親は

自分の親みたいな存在でもあった。

親同士仲良いし

他人の子の悪口とか褒めてもらったり。

あ、悪口ってただ言葉が荒いだけです。笑笑

だるまはずっと体格も人よりあって

走り方も独特だったから

サッカーの親の中での小中のあだ名は

「闘牛」

だった。爆笑

いまは足も遅いから

そんな面影すらないけど。笑

そんな親達。

なんかあった時はみんな心配してくれたり

喜んでくれたり。

副キャプテンのお母ちゃんもほんっと優しい人だった。

副キャプテンの子はお母ちゃんそっくりやし。笑

で、お通夜に参列させてもらって

お焼香を済ませました。

 

小学校の担当してくれたコーチが来てた。

色々話した。

最後の大会の試合の話しとか。

最後の試合は

最初分からなかったけど

話を聞いてて思い出した。

あの頃はめっちゃ楽しかったな。

 

最後の顔を見る。

癌とかそんなんじゃないから

全然痩せてなくて

今、声かけたら返してきてくれそうな感じ。

手を合わせてきました。

 

外に出ると親族、友達、お兄ちゃんがいてました。

こうゆうのが初めてだったのもあり

言葉が出せませんでした。

本当は家族葬だから行くか悩んでたけど

お父ちゃんとかが来てくれたら喜ぶと思うって

言うとったのをお母から聞いていくことに。

1番辛いのは親族とかだから

泣くわけにはいかない。っておもって

堪えてた部分もありながら

友達を見た時は結構やばかった。

だるまの考えは

俺らが泣いたって誰も救えない。

それならその子が笑っておれるまで

こっちが笑顔を絶やさないのが

1番いいのかな。っておもいます。

なんで悲しい時に笑うねんって?

自分より辛い人を目の前に泣ける?

だるまは泣けない。

それならいつでも話聞いてるでって勢いで

待ってる方がおれは嬉しいかな。

人それぞれその人の思い出とかもあるから

泣く人が悪いとかではない。

今も小学校とか思い出したら泣ける気する。笑

 

 

あとからお父ちゃんが来てくれて

色々その時の話も聞かせてくれた。

その中で心に刺さった言葉がある。

その子は高校も大学も

県外だったてのもあるけど

これはみんなに伝えたいと思った言葉。

「お父ちゃんはいいけど

お母ちゃんは大切にしてあげなさい。

子供からの連絡来るのをずっと待ってるのは

お母ちゃんだから。

毎朝毎晩、毎日欠かさず家に居てる時は

ずっと携帯持って連絡来るのを待ってる。

たまに来るなんてない連絡でも嬉しそうにしてた。

今日は暑いなぁ。とか

今日の自炊の飯の写真とかでもいい。

なんてない連絡でもお母ちゃんは喜ぶ。

だから、たまには連絡してあげて。

それが1番のプレゼントになるから。」

 

この言葉は結構刺さった。

だるまは身近に親がいるからいつでも

実家戻れるしなぁ。って思ってた。

でも、誰の親も同じなんだろうかって思った。

確かに心配してくれるのはお母だし

分かってくれるのもお母。

お父には怒られてばっかだし。笑

まぁ、なんの取り柄もない

だるまは怒られて当たり前やけど。笑

 

ほんっとその子のお父ちゃんは強いなぁって思った。

 

だるまがお通夜に参列させてもらったのは

だるまが生きてる中で

少しでも携わってくれた人は大切にしたい。

そうおもったから参列させてもらった。

人それぞれかもしれないけど

生きていくための糧になってる人は

大切にする。友達も親戚も。(親戚の1部を除きます。笑)

それがだるまのモラルだから。

顔見知りとか知ってるだけだったら

そんなことは思わないかもしれないけど。

 

こんな生き方しか出来ないだるまです。笑

 

 

 

 

めっちゃ長くなってしまった、、。

最後まで読んでくれてるひといてるかなぁ。

もし最後まで読んでくれてる人いてたら

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それだけで喜びます。笑

 

 

 

 

今日も昼から頑張りましょう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パパの日常。」

№24